春樹のひとりごと!No10(想い出の名リングアナ、柳亭金車さん)

  • 2010/12/30(木)


10月に書きました富山勝治引退興行の記事で、その興行を担当したリングアナウンサー、柳亭金車師匠についてもちょっと触れましたが、後日、金車師匠から手紙が届きました。古き良き時代を思い出す感激の様子で、こちらも意外な人からのお手紙で感激致しました。
前の記事で金車氏を取り上げたのは、キックボクシングの創生期にインパクトあるコールをしていたことが印象的で、分裂を繰り返してきたキック界では先輩から引き継ぐ教えがないまま各団体で新規リングアナウンサーがデビューしてきました。あの時代が継承されないままだったことから何かで引き出したい思いでしたので、今回は主役で登場です。
金車師匠は1964年6月、 五代目・柳家小さんに入門し、前座時代は柳家小丸として務め、1968年5月、二つ目昇進後、兄弟子の柳家かえる(現・鈴々舎馬風)師匠に抜擢され、隆盛期の日本キックボクシング協会系で馬風師匠とともにリングアナウンサーを務め、1978年3月、 真打昇進し柳亭金車を襲名。1984年、一部キック組織統合により日本系が活動休止に入った後は、アジア太平洋キック連盟で務められることが多かったようです。1995年の飛鳥信也引退興行と1996年に日本キックボクシング協会が復興した興行ではメインリングアナウンサーを務め、以前と同様、力強いコールをしてくださいましたが、その後、日本系列、現在の新日本キックにも登場することはなく、古きファンとしては残念な想いがありました。金車師匠のコールはマイク無しでもよく通る声で、個性ある独特のリズムとイントネーションは選手と観衆への試合前のボルテージを最高潮に引き上げる力強さがありました。現役時代の伊原信一氏をコールしたこともある金車師匠です。1974年からは日本ハムファイターズの私設応援団長としても活躍しています。(2004年より終身名誉私設応援団長)
金車師匠は沢村忠全盛期を一緒に全国の興行を廻られたことは落語家としても幸運だったと語っておられました。2週に1度の後楽園ホールでのテレビ収録の他は地方興行が多かった時代でした。幾度か後楽園ホールでのお仕事を遠くから眺めていたある日、金車師匠は選手ひとりひとりの呼び名を尋ねに控室を廻っていたのを見たことがあります。コミッションの管理組織のないキックでは主催者側だけでは行き届かず、読み間違えてはならない責任感から自分の足で確実に聞いて廻る姿は、間違った呼び名で選手と観客に拍子抜けさせないプロ意識を感じたものでした。
現在は千葉(センバ)ジムが主体となる日本プロキックボクシング連盟で年に4度ほどの興行でリングアナウンサーを務めておられるようです。息が長いという点ではプロボクシング往年の酒井忠泰リングアナより長いのではと思われます。時代の波に押され消え去ったベテランも多い中、まだ頑張って居られたことは幸いでした。まだまだ聴きたい金車さんのコールです。
落語は古典ものを中心とし、出囃子は長唄の「鴨亀」だそうです。金車さんの落語は一度も聴きに行ったことがなく、詳細を書けないのは申し訳ありません。

まだまだ気になるリングアナウンサー編はまた来年紹介致します。(ね、冨樫さん!)
今年も激動多い中、大変お世話になりました。来年もよろしくお願い致します。
(堀田 14:10)No51




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