昭和キックの面影残す赤土公彦のタイ遠征!

  • 2021/01/14(木)

相手を睨みつける鋭い目、鋭い蹴り。


視力はかなり悪いようで、よく見えなかったらしい。



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赤土公彦(ニシカワ→キング)は、MA日本キックボクシング連盟では1986年(昭和61年)9月、坂巻公一(君津)を倒して第2代日本フライ級チャンピオンとなる。防衛戦は無く、全日本キックボクシング連盟に移って1988年1月、宮野博美(光)を倒して初防衛。タイでは2回試合をしており、同年2月、ルンピニースタジアムに出場したが判定負け。
2戦目は1989年(平成元年)1月9日、ランシットスタジアムに出場。

ランシットスタジアムにて。日本とは違う相手の出方。

第10試合目ぐらいに予定されていた試合は第3試合目になっただろうか。深夜12時頃になることを予定して、ジムで充分食事を済ませてランシットスタジアムに入った赤土は、バンテージチェックする進行係のオッサンから順番繰り上げを指示された。食事したばかりの抗議は受け入れられなかった。当時の西川純会長は、赤土がワイクルーを舞う頃、試合ギリギリに間に合ったが、「しょうがない、タイはそういうことするんだ!」とまあよくある話に慣れたもの。



相手も若い選手だが、やっぱり試合運びが上手かった。左フックか、一度相手を尻もちつかせたが、スリップ扱い。
思えばチャンリットがセコンドに付いていた。夜はアルンサックも西川さんのマンションに泊まっている。近しい仲ではあったが、どんな経緯で二人が居たか、私も赤土公彦も覚えていない。



赤土公彦はこの試合の後、1月末に有光廣一郎(AKI)と全日本フライ級王座2度目の防衛戦に判定勝利。
タイで修行は昔からあることだが、この昭和60年代から円高もあり、かなり増えた時代に入ったと思う。

負ければ悔しさが残る試合直後。


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(堀田春樹)No.6

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